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本地仏立像

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ページID:0001807 更新日:2022年1月17日更新 印刷ページ表示

珠洲本地仏立像の画像

珠洲本地仏立像

すずほんじぶつりゅうぞう

  • 石川県珠洲市宝立町鵜島 剣神社 伝世(本館保管)
  • 像高22.7cm
  • 12世紀後半~13世紀前半(平安時代末~鎌倉時代前期)

 珠洲焼は、甕・壺・鉢の日常用器が主体であるが、宗教用具などの特殊品も少数ながら生産していた。この仏像は、全体の像様は如来形でありながら、手は神像の形式である拱手(きょうしゅ)となっていることから、本地仏と知れる。本地仏とは、仏が人々を救済するために神の姿をかりて現れるという、本地垂迹説にもとづくもので、鎌倉時代から室町時代にかけて、全国の神社で本地仏が定められた。その後、明治元年の神仏分離令によっておこった廃仏毀釈により、本地仏の多くは散逸してしまった。
 この仏像の下半は欠損しているが、鳥屋尾神社(宝立町)伝世の完形品と同形とみられ、立像とされている。