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すずほんじぶつりゅうぞう
珠洲焼は、甕・壺・鉢の日常用器が主体であるが、宗教用具などの特殊品も少数ながら生産していた。この仏像は、全体の像様は如来形でありながら、手は神像の形式である拱手(きょうしゅ)となっていることから、本地仏と知れる。本地仏とは、仏が人々を救済するために神の姿をかりて現れるという、本地垂迹説にもとづくもので、鎌倉時代から室町時代にかけて、全国の神社で本地仏が定められた。その後、明治元年の神仏分離令によっておこった廃仏毀釈により、本地仏の多くは散逸してしまった。
この仏像の下半は欠損しているが、鳥屋尾神社(宝立町)伝世の完形品と同形とみられ、立像とされている。