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竹根形花生
三杯竹根形花生
さんばいちくこんがたはないけ
- 器高8cm、口径4.1cm、底径5.7cm
- 19世紀(江戸時代末)
三杯焼は、南方村(現在の上戸町南方)の豪農三杯助兵衛が、弟九郎左衛門の生業として始めたものである。正院焼の最盛期頃に開窯したとみられ、助兵衛は正院焼に刺激を受けたのかもしれない。陶工は、はじめ九谷から招いて九郎左衛門の指導にあたらせたが、後には京都の清水からも招いたと言われる。それは今日伝世されているものに、九谷風のものもあるが、京焼風がほとんどであることからも察せられる。明治元年に助兵衛が死去しており、その後まもなく廃窯となったようである。
この花生は、柱にかける一輪挿しで、背面に釘穴が開けられている。三杯焼は銘印がないものが多く、ほとんどは作風によって判断せざるを得ない。そのため確実に三杯焼と認定されている品は、数少ない。