ページの先頭です。 メニューを飛ばして本文へ
現在地 トップページ > 分類でさがす > 市政情報 > 歴史・文化財 > 平時忠卿及び其の一族の墳

本文

平時忠卿及び其の一族の墳

ページID:0001755 更新日:2022年1月17日更新 印刷ページ表示

平時忠卿及び其の一族の墳
平時忠卿及び其の一族の墳の画像

 時忠は才知に富み、武士としてより文官として才能を発揮した。妹滋子は後白河天皇の女御となって高倉天皇を生み、妹時子は平清盛の妻となって、権大納言に任じられ権勢をふるったが、壇ノ浦の合戦で捕らえられ能登に流罪となった。
大谷峠に程近い谷間に、時忠の末裔とされる則貞家が一族の墓所を守っており、椿の下に五輪塔がひっそりと並んでいる。

【表示】(CC BY)ライセンスの解説ページへ<外部リンク>
このコンテンツは Creative Commons の【表示】(CC BY)ライセンスに従う限り、自由に二次利用可能です。