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能登の揚浜製塩用具

ページID:0001691 更新日:2022年1月17日更新 印刷ページ表示

能登の揚浜製塩用具 166点
能登の揚浜製塩用具の画像1
能登の揚浜製塩用具の画像2←タレフネ(移動式沼井)

  • 指定年月日:昭和44年4月12日(1969)
  • 構 成:塩田関係116点 釜屋関係42点
  • 所有者:珠洲市

 揚浜式製塩は古代から行われていたといわれ、三方を海に囲まれた珠洲にとって、重要な産業であった。生産費の約半分を焚き木代が占め、燃料の供給・労働力を通じて広い範囲の人々の生活とも深い関係があった。寛永4年(1627)、加賀藩の専売制のもとで生産量を増やし、明治19年には、県全体で52万俵を生産した。そのうちの73%を旧珠洲郡が占めていた。
 明治4年(1871)に藩の専売制が廃止されると、入浜式の瀬戸内塩と厳しい価格競争にさらされたが、日清戦争の結果、安価な輸入塩が流入したことを契機として、明治29年以降、急速に衰退しだした。国は製塩地整理法を制定して3次に渡る揚浜式製塩の整理を実施し、昭和35年、特例として角花家を残し、産業としての揚浜式製塩は終焉した。
 珠洲出身の故桜井能唯氏は、先祖が漆掻きや塩田を経営していたことにちなみ、製塩用具・漆工用具を収集し、能登記念館「喜兵衛どん」を昭和42年に開館した。能登独特の製塩用具であるタレフネ(移動式鹹水ろ過器)や、多種多様な桶など、その種類・質・量とも豊富で、貴重な製塩史資料となっている。
 平成30年に指定品を一括で珠洲市に移譲された。